ナチュラルヒーリングPhoto/民の祈り



マイ「お地蔵さん」を持つ人、持たない人
生駒聖天さんの境内、奥の院に登る参道の左右にはたくさんの小さなお地蔵さんや仏像が並んでいる。これらは全部それぞれ、個々人の施主さんがお寺の許しのもと設置した、いわば「マイ・お地蔵さん」たちなのである。
つまり、この寺の宗旨・御本尊などとは厳密な関係にあるわけではなくそれぞれの思惑・願いでもってお祀りしている個人的なもの、だ。で、ありながら、参詣する人々はそれらを「自分とは関係ない全くの他人ごと」とは思っていない・感じていないのようである。同時にお寺も「お寺そのものとは関係ありません」とは思っていないようなのだ。その証拠に、お寺が準備したであろう同じ仕様のステンレス製の小さな賽銭受けがそれら全てに設置されており、そこには一円玉や五円玉などが供えられているのだ。
とある日、その参道にあるお地蔵さんに向かって熱心にお参りしている人がいたので「これはあなたのお地蔵さんなのですか?」と声をかけたら、違う、との答え。自分とは全く関係はないが、このお貌やお姿がとても気に入って好きなので来るといつもお参りしているのだ、というのである。
自分とは全く関係なくどんな人が何を願ってお祀りしたのかもわからない地蔵であっても、そのような想いで自らの心に重ね、拝むことができる、ということのようだ。
このことは、お寺や神社が立派だとか御本尊がありがたいとか有名だ、ということとは別に、知らぬながらも他人の願いや祈りに自分の気持ちを寄り添い重ね合わせて「ありがたいもの」「祈りの対象」として自分自身の祈りを捧げることができる、ということ、であろう。
いや「できる」というよりはむしろ「あたりまえ」なのかもしれない。そういうことはつまりは日の出や日没に祈り、清々しく神々しい山の姿に祈るこころと同じことなのではないか、と思える。
いま、「神無月」と呼ばれる、十月。ではあるが、神や仏は皆みなの心の中、あるいは、見上げた空や遥かな山のかなた、いやそれこそいま行く道のかたえにすらいつでもおわすのにちがいない、と感ぜられてならない。
<A.T.迦楼羅の今週のゲオマンシー「シングル・シンボル」占い>
【質問】:「くりが好きです! 今年の秋は、おいしい栗がお安くたくさん食べられそうですか?」
【出たシンボル】:カプト・ドラコニス
【答え】:欲求は満たされるであろう、という答え。新物・初物に期待。欲張るのは良くない。
*シングルシンボル占いとは、タロットカードのワンオラクルのように、短い簡単な質問に対して一つのシンボルを導きだして占う方法です。
A.T.迦楼羅
ジオマンシー(ゲオマンシーともいう)占い、西洋占星術、易占いなど、世界各地に古くから伝わる占術の研究者であり、心理カウンセラーとしても多方面で活躍中。
スピリチュアルカウンセラー育代オフィス所属
https://www.ikuyo.co.jp/top.html
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